学生アルバイトの視点から
4976に来る前の私は、仕事と私生活を明確に分けて考えていた。
休学をして音楽活動に時間を注いでいたこともあり、私にとって「自分の人生を生きている」と感じられるのは、音楽に向き合っている時間だった。ライブに向けて練習を重ね、曲を書き、仲間と議論する。その時間には、自分の意思で選び、自分の責任で生きているという瑞々しい実感があった。
一方で、仕事は生活のためのものだという認識が強かった。
仕事をするということは、私生活の時間を削ること。
限られた時間の中で、どちらかを優先すれば、どちらかが減る。
仕事と表現は、同じ24時間というパイを奪い合うトレードオフの関係。
私は長い間、そんな単純な構図で将来を捉えていた。
鎌倉高校前の踏切
しかし、4976で働く人々の姿は、その前提を少しずつ揺るがした。
印象的だったのは、多くの社員がそれぞれの趣味やライフワークを持ち、それを大切にしていることだった。仕事に真剣に向き合いながらも、家庭との時間を幸せそうに語り、休日には自分の好きなことに没頭している。
それは特別な人の姿ではなく、ごく自然な日常としてそこにあった。
その姿を見て、私は考えるようになった。
仕事と私生活は、本当にトレードオフの関係なのだろうか、と。
そうした中で出会ったのが、4976が大切にしている「人生を長期的に捉える」という視点だった。
人生を長期的に考えたとき、仕事ばかりに偏れば、その後の時間が蔑ろになる。
家庭だけに重心を置けば、将来への責任が心許なくなる。
そして、個人として没頭できる世界がなければ、人は内側から枯れてしまう。
どれか一つを極端に伸ばすのではなく、三つを保ち続けること。
この考え方に触れたとき、私は初めて
「仕事は人生の敵ではない」
という視点を持つことができた。
ホームからの眺め
印象に残っている場面がある。
ある社員が、激しい会議を終えた直後、穏やかな表情に戻り、家族や趣味の話を始めた瞬間である。
会議中のその人は、誰よりも真剣で、一切の妥協を許さない姿勢を見せていた。
しかし、その厳しさの奥には不思議な余裕があった。
その余裕は、彼が「仕事だけで生きているわけではない」という確かな生活の基盤から生まれているのだろう。
仕事と家庭、そして個人の世界。
それらは高い壁で隔てられた別々の領域ではない。
一人の人間の人生の中で、互いに連続しながら存在している。
そのことに気づいたとき、私は理解した。
仕事に真剣に向き合うことと、自分の世界を大切にすることは矛盾しないのだと。
むしろ、自分の世界を持つ人ほど、仕事にも主体的で誠実に向き合えるのではないか。
その姿は、私がライブのステージに立つために日々練習を重ねる過程とも重なって見えた。
表現の深みは、表現以外の時間をどれだけ誠実に生きたかによって支えられる。
働くこともまた、同じ原理の上に成り立っているのだと感じた。
江ノ島
以前の私は、仕事と表現を対立させていた。
どちらかを選べば、どちらかを失うと考えていた。
しかし今は違う。
「三つの成功」という枠組みを通して、私の視界は大きく開けた。
仕事は人生の大きな部分を占めるが、それが人生のすべてではない。
同じように、家庭も、音楽という世界も、私の人生を構成する欠かせないピースだ。
これらは削り合うものではなく、互いに栄養を送り合い、支え合う関係になれる。
音楽で培った創造性や、一つの音に執着する集中力は、仕事の場面でも必ず活きる。
逆に、仕事で得る責任感や社会的視点は、私の作る曲に「現実の厚み」を与えてくれるだろう。
どれか一つに偏るのではなく、三つをどう保ち続けるか。
その問いに向き合うこと自体が、自分の人生に責任を持つということなのだと思う。
「一度の人生、自分が主役」
それは、単に好きなことだけをすることではない。
自ら選んだ役割を社会の中で引き受け、どの場面においても主体的であろうとする姿勢のことだと思う。
今の私は、仕事を私生活の対立項とは見ていない。
音楽を続けたいから働くのではなく、
働きながら社会と関わるからこそ、より豊かな音楽が生まれる。
その両立という困難で、しかし刺激的な模索こそが、
私がこの人生を主体的に生きるということなのだと思う。